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37. 2006年4月1日

 
 今日は新たな始まりもあって、桜をテーマにお話をしましょう。日本人は桜の花が咲き始めると、心の奥から高ぶってくる陽氣を感じます。それが桜の花が持つエネルギーだけから来るものではありません。そこには何か日本人の心の琴線にふれるはたらきがあるのです。
 さくらの「さ」は、古代の日本語で山の神という意味があるそうです。「くら」は蔵・座という意味になり、合わせるとさくらとは山の神が宿る聖なる樹木ということになります。
 農耕を主としていたかつての日本人はその年の収穫の吉凶を占うため、春になると奥深い山間の大きな桜樹を見て、その花の咲き具合で占っていたそうです。大きな桜の樹には山の神が宿り、その神が豊作を教えてくれるものと考えていたようです。では何故奥深い山間の大きな桜樹でなければならないのでしょうか?
 日本人の死生観に、人が死ぬと魂は高い山の頂に上がり、隠国(こもりく)と呼ばれる深山の奥深い谷間に集まるという考え方があります。
奥深い山間の大きな桜樹に、自然神だけではなく祖霊をも神として観ていた日本人の死生観が映し出されており、この死生観は民族の記憶の遺伝子として現代に生きる私たちにも受け継がれているのだと私は思います。
 私たち人間の心には、民族の記憶の遺伝子や家系の遺伝子、成長過程の記憶、さらに前世の記憶などが複雑にからみあって存在し、「個人のものの見方」がつくらています。一人ひとりものの考え方や見方は違いますが、民族に共通する感性や感覚があります。これは民族の記憶の遺伝子によるものではないか、と思います。全世界の人間が互いに理解しあえれば、平和になるのでしょうが、なかなか思うようにはいかないようです。そこには民族の記憶の遺伝子が大きな障壁として存在しているかもしれません。世界中の民族が互いに理解しあえるためには、各民族の記憶を築きあげてきた精神文化を学ぶことが重要だと思いますが、皆さんはどのように思われるでしょうか。